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金 東洙(キム・トンス、)は日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の軍人。号は松竹()。別名は金剛。 == 経歴 == 1916年12月、京畿道仁川で金宇済(金宇濟、)の息子として生まれる。1923年、父に従って上海に亡命。上海仁成小学校および公時中学校卒業。 1934年、中央陸軍軍官学校洛陽分校韓人特別班入学。南京本校に移動して第1総隊歩兵大隊第3隊に配属。1936年6月に卒業した後は見習士官として第25師に配属。日中戦争が勃発すると南京に向かい韓国臨時政府に合流した。 1939年10月、羅月煥、李河有、朴基成、李在賢などと共に韓国青年戦地工作隊を結成し、副隊長となる。1941年1月に戦地工作隊は韓国光復軍に編入され、金は第5支隊副隊長兼第1区隊長に就任。1942年3月、羅月煥殺害の容疑で逮捕され無期懲役を宣告されるがのちに釈放される。光復軍の改編によって第5支隊が消えると、第2支隊に編入された。中央戦時幹部訓練団韓国青年班で軍事訓練や外国語などを指導した。1945年4月、土橋隊第3隊隊長。 終戦後は韓国独立党監察委員、上海支党部特派員として活動。 1946年、韓国臨時政府駐華代表団東北特派員。 1948年6月、帰国。同年11月、陸軍士官学校第7期卒業。朝鮮戦争当時、第16連隊長として義城地区戦闘〔義城地区戦闘 〕、第1装甲連隊長として興南撤収作戦に参加〔恵山鎮- 吉州 - 興南撤収前 〕、戦後は7代長を務めた。 1963年、建国勲章独立章授与。 2012年9月、大韓民国国家報勲処が9月の「」に選定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金東洙 (1916年生)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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